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年 月 日

山 名

標 高

2.5万図

天 気

当日福井市の
最高気温と最低気温
〔 〕は平年値+-

同行者

2005 11/16

鶏冠山
とさかやま
天狗岩

490.9m

509m

瀬田
三雲


晴時々曇

10.3℃  6.5℃
(-5.2  -0.1)

乱丸&のこさん
ジオンさん
ytnetさん
みれさん
静御前さん

行 程
福井市自宅出発630===北陸・名神自動車道===栗東IC===滋賀県大津市上桐生・一丈キャンプ場登山口(標高170m)
845〜925----落ヶ滝950〜1005----稜線1035----鶏冠山1100〜1110----天狗岩1215〜1245----
耳岩(昼食)1300〜1400----白石峰1410----重岩1415---国見岩1420----狛坂磨崖仏1430----逆さ観音1520----
オランダ堰堤1545----一丈キャンプ場1550
                                 ◆周回 休憩時間含む ■出会った登山者 4名



今年6月、快晴の籾糠山で笠ヶ岳の雪形を教えて頂いた人達が、akiraさん和たんさん、ジオンさんだと後日判明。
その時、一言二言会話したのでした。ホームページ拝見しますと和たんさんジオンさんは水曜日行動の様子。
先月28日は59才の誕生日、何とその日に山へのお誘いメールが届く。今更、還暦前の誕生日は味気ないものだがジオンさんからのメールは思わずニンマリするのである。

水曜日行動の人達へのアプローチをジオンさんがプロデュース。山の選択、コース取りは乱丸さん、のこさんが企画。
こうして金勝アルプス、鶏冠山山行が実現したのでした。

我がメンバー静御前さんと集合場所、上桐生のキャンプ場へ向かう。栗東ICで降りて草津市内は通勤ラッシュで渋滞。やきもきしながら集合時間15分前に到着。すでに初めてお会いする乱丸&のこさんがいらしておられる。次々と到着。皆さんの車は大きなRV車、山グッズがビッシリ積まれて驚くやら感心するやら〜。

プロデュースなさったジオンさんの挨拶。和たんさんは急用で残念ながら欠席。敦賀のみれさん、初対面のytnetさんと青空にヒンヤリした空気は晩秋そのもの。
日帰りの山とは到底思えない位、皆さんのリュックは膨らんでいる。何が詰め込んでいるのだろうか〜。
雑木林に大きなウラジロが生え渓流沿いに歩く、沢の水量は少なく花崗岩をナメるように流れている、沢を注視すると3cm足らずの魚が泳いでいる、何の魚だろう〜。

登山道から離れて落ヶ滝、水量は申し訳ない位少ない、花崗岩の肌は緑、茶、黒と彩り水量の多い時、見たいものだ。
一枚岩にロープを握り谷を詰める、退屈しない変化に富んだ道、稜線に上がり鶏冠山へ。東斜面は松茸山らしく9月21日から11月6日まで立入禁止のロープが掛けてある。そう言えば松と桧が目立って山は針葉樹で青々としている。

鶏冠山から木々の間に鈴鹿の山並み、伊吹、比良、近くに琵琶湖と三上山。
目指す天狗岩は逆光で黒々としてベールで隠しているように思える。稜線歩きは展望に足を止め道草、一向に先に進めない。
足の遅い僕をytnetさんが最後尾をサポート、若い人は頼もしい。
間近に見る天狗岩、白い花崗岩はでっかいの一言。陽を受けた花崗岩はほんのり温かさを感じ、岩の間を通り、登り、ルート取りのパズルのようだ。

唯一のテラスで3名昼食中。すでに12時を過ぎている、我々も昼食だが適所がなく耳岩まで行くことにする。
ベンチが3ヶ所、ここで山上の食卓。皆さんのリュックから食べきれない程の食料。見事な食卓なのです。

陽は傾き、風も僅かに寒さが増してきた、竜王山は次回のお楽しみとしてパス。白石峰から降りることにする。
重石(かさねいし)、国見石など奇岩を見て、狛坂寺跡の「狛坂魔崖仏」。平安時代の石仏が山中の野外で見事な姿、拝見出来る。
「逆さ観音」の謂われも心打つもの、「オランダ堰堤」もしかり。
古代から明治、歴史の臭いがする山、僕はたまらなく好きなのです。次回は金勝寺から竜王山を歩いてみたい。

企画された乱丸さん感謝です。皆さんありがとうございました。
水曜会発足に相応しい山行、これからあっちこっち行けそうで楽しみです。越前支部長拝命です。



落ヶ滝

鶏冠山山頂手前から三上山(近江富士)とJRA栗東トレーニングセンター

鶏冠山 記念写真

天狗岩から鶏冠山

琵琶湖と大津市

天狗岩

天狗岩 愛の手をさしのばす乱丸さん

天狗岩

天狗岩 南面 テラスで昼食中の3名

重岩



史跡 狛坂魔崖仏(こまさかまがいぶつ)
指定年月日 昭和19年(1944)6月26日
所有者 財務省


磨崖仏
たて約6メートル、よこ約4.5メートルの花崗岩の磨崖に三尊像を刻みだす。格狭間(こうざま)を表す須弥檀(しゅみだん)上中央に宣字座(せんじざ)に座す如来像、両脇には蓮華座上に立つ菩薩像を配している。その脇及び更に上部には、七躯の立・座像が配されている。製作期については、狛坂寺創立期(平安時代初期)説もあるが、作風には統一新羅彫刻の影響が認められることから奈良時代後期、造像は渡来系工人によるものと考えられる。

狛坂寺
嵯峨天皇の弘仁年中(810〜823)蒲生郡狛長者の娘が金銅の観音像を檀林皇后に献上し、これを時の名僧願安に下賜された。願安はこの観音像を金勝寺に安置したが、女人結界の霊地のため女人の参拝が許されないので、この地に金勝寺の別院として一寺を建立したのが狛坂寺の創立と伝えられる。創建以来金勝寺と共に繁栄を極めたが、明治に廃寺になる。
平成15年2月
〜案内板より〜
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逆さ観音

磨崖仏(逆さ観音の)の前を通る遊歩道は現在人々の憩いの場となっていますが、かってはヒノキの大木が茂る田上山(たなかみやま)の一角だったのです。しかし持統天皇の藤原京、続く70余年の都として栄えた平城京の南都七大寺等の建設のため悉く伐採されて、約千年後には一大禿げ山となってしまいました。
金勝山(こんぜやま)に建っている金勝寺(こんしょうじ)は聖武天皇の勅願により国家鎮護の祈願寺として良弁僧都(ろうべんそうず)が建立したものです。この道は、金勝寺への横参道として作られ、所々の大岩には磨崖仏が彫られています。
この「逆さ観音」もその一つで、鎌倉時代の初め頃に作られたものであり、同時に金勝寺への道標になっています。
一番不思議なことは、逆さになっているのだろうか
次に、なぜ三尊石仏なのに観音さんなのかしら
更に、大岩の一端が割取られているのではないか
の疑問が湧いてくるでしょう。
元は、その上部の山上にあり逆さになっていなかったのです。
正しくは阿弥陀三尊石仏で中央が阿弥陀如来、左右の侍仏が観音・勢至菩薩なのです。
大岩の一端は、下流の「オランダ堰堤」製造時(明治22年完成)に石材の不足が生じてそれに使われたのです。そのため、後にバランスを失い山上からずり落ちて逆さになったのです。以来、身を削られ逆さになっても、地元の人々を大洪水から守っていてくださると敬われています。
--滋賀県森林管理者--
平成13年12月
〜案内板より〜
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オランダ堰堤
昔、この一帯の森林はヒノキの美林であったが奈良時代から平安時代にかけて、寺院・仏閣の造営に大量の木材が奈良・京都に伐り出された。このため、山は荒れて禿げ山になり、明治に至るまで大洪水がたびたび起こり、下流の人々に大きな被害を及ぼし続けた。そこで政府は、明治6年「淀川水源砂防法」を制定、淀川水系の治山治水工事に着手しオランダから砂防工事の技術者ヨハネ・デレーケ氏を招いた。
ここに現存する堰堤は、明治22年同氏が指導の下に作られた割石積み堰堤で、わが国最古のものと言われる。
〜案内板より〜

下山後