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年 月 日

山 名

標 高

2.5万図

天 気

当日福井市の
最高気温と最低気温
〔 〕は平年値+-

同行者

2005 11/24

天筒山
てづつやま
金ヶ崎城趾
かながさきじょうし

171.3m

90m

敦賀


曇一時晴
一時雨

10.3℃  7.3℃
(-3.3  +2.1)


行 程
福井県敦賀市天筒町登山口(標高10m)1220---野鳥園分岐1245---山頂休憩所(昼食)1250〜1355---
月見御殿跡・金ヶ崎城趾本丸跡1425---尊良親王御墓所見込地1430---金ヶ崎宮1440---天筒町登山口1505
                                 ◆周回 休憩時間含む ■出会った散歩人 7名



9年在住した敦賀。桜の花見の頃、娘が生まれた頃、金ヶ崎宮・金ヶ崎城趾は何度か行ったことがある。
しかし天筒山は登った事がない。野坂岳、西方ヶ岳、そして天筒山を敦賀三山と云う人もいる。

美浜で用事を済ませたあと、熊川宿から登る駒ヶ岳の予定だった。時雨の時、駒ヶ岳780mガスの山頂だろう〜空を見ると敦賀の方に青空が覗く。天筒山にしよう〜。

敦賀市は南北朝から戦国時代の強者殿の決戦の場を提供した天筒山、金ヶ崎城趾なのです。
敦賀湾を一望する小高い山、そこに金ヶ崎城跡がある。
南北朝時代、延元元年(1336)恒良、尊良両親王を守護した新田義貞が足利軍と戦った古戦場。
金ヶ崎宮には両親王が祀られている。

また、戦国時代の元亀元年(1570)4月。朝倉義景討伐を企てた織田信長が越前に攻め入ろうとしたその時、近江浅井氏裏切りの報が。窮地に陥った信長だったが、金ヶ崎城でしんがりを努めた木下籐吉郎の活躍で、無事帰京できたという。姉川の合戦で、浅井・朝倉連合軍を敗った信長。そして、その信を受け天下取りの道を進んだ秀吉。さらに、秀吉のしんがりを助け、後に謝意を受けた徳川家康。金ヶ崎城をめぐる出来事は、それぞれの武将にとって天下取りへの転換点となっている。その見張台が天筒山なのです。

昼前後に寒冷前線が通過のこと、天筒町の登山口から傘を手に車道(一般車は通れない)を登る。スダジイ、モチノキ、コナラ、キンキマメザクラ、クサギなどと書かれた木札が付けてある。樹木を知るのに最適な道だ。ウォーキングのあばちゃん3名「こんにちは」と追い越して行く。
モミジが色づき始め、時々陽が射し込んで美しい。
ぶらぶらゆっくり歩いても30分で山頂の鉄筋コンクリート製でしかもサッシュの窓枠で出来た立派な休憩所、電灯まである。さすが原電で潤っている財政、恐れ入ります。

休憩所の前にはモミジの巨木があり昼食と取りながら紅葉狩り。昼食が終わった頃、雨がザーッと降り周りをガスで隠す。
今度はお爺さん3名散歩がてらのウォーキング、雨が降ろうが槍が降ろうが年中欠かさず登っているそうです。

雨は上がり展望台に登る、57段の螺旋階段を登り切ると山頂部を隠した西方ヶ岳、野坂岳、岩篭山そして中池見湿地、敦賀湾が一望。
展望を楽しんだあと金ヶ崎に向かう、ここからは下り、、階段が多くなりスダジイの森を通り、階段脇には植林したであろうモミジが僅かに色づいていた。戦国武将が月見をしたと云う月見御殿、眼下に海を見下ろすロマンチィックさを感じます。

金ヶ崎宮に参ってから又雨が降り出した、町中の鉄道港ひげ線伝いに通り、天筒町の登山口まで戻ったのです。



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天筒山 山頂休憩所

休憩所からモミジ

雨に濡れるモミジ

展望台

敦賀港 三内山521.8m

金ヶ崎城趾 雲のかかる西方ヶ岳・サザエヶ岳

休憩所

中池見湿地

スダジイ(椎の木)ブナ科シイ属 常緑広葉樹


金ヶ崎古戦場 城趾

尊良親王御墓所見込地

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金ヶ崎宮






先日、敦賀市内の店をご子息に譲って新規に開店した『柿家』を訪ねる
今までより小さな店を片田舎にオープン ご夫妻の料理とお人柄にファンは大勢いらっしゃいます
店主ご夫妻は私の師匠で何かとお世話になったお人なのです

営業時間 11時〜3時  5時〜9時
定休日は不定休で電話でお問い合わせ下さいとのことです
福井県美浜町気山110-1 電話0770-32-6161
kakiya@k1.mmnet-ai.ne.jp



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