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年 月 日

山 名

標 高

2.5万図

天 気

当日福井市の
最高気温と最低気温
〔 〕は平年値+-

同行者

2004 1/7

高須山
(たかすやま)
鷹巣城址本丸

438m

鮎川

快晴

10.9℃  -0.4℃
(+3.6  -1.3)

単独

行 程
福井自宅出発815====福井市高須町登山口(標高200m)905〜910----山道----林道終点駐車場955----
高須山山頂1015〜1115----林道----登山口1220
                              ■周回 休憩時間含む ■出会った登山者 2人

さ〜て今年の初登山は何処にするか〜。「雪みち情報ネットふくい」でみる勝山市北谷五所ヶ原の積雪は54cmではブッシュが邪魔して山スキーは難儀するだろう。天気も昼過ぎから雨の予報。近場の雪の無い高須山にする。

高須山に初めて登ったのは30数年前、まだ山を本格的に登っていない時だった。その時はサスペンションは堅く、しかも車高が低く砂利道にハンドルを取られながら、真っ赤な2シターのオープンカーで走っていると山奥の子供達が「ワ〜格好いい〜」と群がってきたのでした。テレながらチョッとスターになった様ないい気分だった。それ以来の高須山だ。

そのような若き日の事を思い出しながら霜柱を踏んで登山道に入って行きます。登山道は名の知らないキノコ、真っ赤な木の実、藤の細長い実を撮りながら竹林と枝打ちされた杉林の中をゆっくり進む。微かに憶えのある登山道は変わっていなかった。要所要所に高須城小学校の子供達製作の絵入りの案内板が有り心を和ませてくれる。

40分程で登り切ってしまうのですが写真を撮り風景を楽しみ1時間かかって山頂だった。
驚いた事のは反射板は撤去され、山頂の木々は切り払われて広場になっていた。30数年の年月は技術革新であろうかもう反射板の役目は終わったのであろう。
南朝方の武将、畑時能氏が足利勢と戦い立て籠もった鷹巣城本丸の石碑は変わりなくあった。
見晴らしの良い山なのに三角点を探すが見当たらない、2.5万図をよく見ると三角形の記号は記載されていない。0.1の位の無い物は「標石のないもの」と書いてあった。道理で無いはずだ。
快晴無風、展望は素晴らしい。加賀、越前の山々、遠くに能郷白山も見渡せる。北西から西は日本海、三里浜の石油備蓄基地、雄島、東尋坊、蓑の亀島から松陰、和布の集落が望める。母親の生まれ育った糸崎は小高い丘に隠れて見えなかった。高校時代、友に山岳部員がいた。無断でテントを持ち出し無届けでキャンプした鷹巣の海岸は白波もなく穏やかな海だった。

今日は昼には自宅に帰ってこられるだろうとお茶だけにした。誰も居ない山頂でコーヒーを点て、すすりながら展望を楽しみました。
11時過ぎると白山御前峰は雲に隠れ、頭上の空も薄雲が出始めて来た。この辺で下山しましょう。
下り始めて10分、空身の老夫妻が登ってきた。「余りにも上天気で文殊山にしようか鬼ヶ岳にしようかと迷ったのですが遠いのでこの山にしました、いい山ですね〜」と三国からの人だった。

同じ道を下っても面白くないので林道を歩いた。高須集落に近づくと畑の草取りのお婆さんから「じょうやま(城山)に登ったけの〜」と声がかかった。「この村も若い者は町に出てだんだん戸数が減っているのや〜今は40戸、120人やわ〜」昭和40年代発刊の「福井の山と半島」には57戸、250人と記載がある。
「ここの米や野菜は旨いざ〜ういみず(初水)やでの〜」「春先、雪がなかなか融けなくてね〜じょうやま(城山)が有って海風が遮られるのやわ〜」とお婆さんと10分ほど話をした。

今日も暖かい日だった。年明けてからヅーット暖かい日が続いている。予報でもまとまった積雪ななさそうだ。
暖冬には変わりない、この分だと春の山スキーが心配になってきたぞ。


高須山 山頂

山頂から白山連山

方位盤 (左に22度行き過ぎて設置してありました)

山頂

登山口から高須山

山頂から亀島・蓑・松陰・和布集落
山頂に建つ 贈正四位 畑時能戦蹟

山頂から高須集落

山頂から三里浜の石油備蓄基地

ヤブツバキ(藪椿)
← 高須城小学生校 製作の案内板
ホームページには鷹巣城の歴史、高須山の植物、農作物など
参考になります