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年 月 日

山 名

標 高

2.5万図

天 気

当日福井市の
最高気温と最低気温
〔 〕は平年値+-

同行者

2003 12/3

城山
三峯城址
(みつみねじょうし)

404.5m

河和田

快晴

15.0℃---5.1℃
(+3.2  +1.2)


行 程
福井自宅出発850====福井県鯖江市上戸口 廃村三峯村登山口(標高320m)大いちょう広場915〜935---
峠938---城山(三峯城址・本丸)1000〜1120----大いちょう広場1140
                              ■往復 休憩時間含む ■出会った登山者 0人

福井市西大味町から鯖江市上戸口町へ抜ける戸口トンネル出口に『三峯城址登山口』の看板が以前から気になっていた
ネットで調べると越前では知られて身近な南北朝時代の南朝方の臣 新田義貞の弟 脇屋義助が立て籠もった三峯城址と稜線近くに有った廃村三峯村の存在を知った。
越前には北朝方の足利軍と戦った山城が幾つかある。敦賀の金ヶ崎城、杣山の瓜生判官保、高須山の鷹巣城と鷲ヶ岳の畑六朗左エ衛門時能の史跡と石碑がある。

先週に続いて今日も小春日和になった、ありがたい。林道は廃村三峯村跡まで通れて、城山(三峯城址)までゆっくり歩いても30分足らずで登ってしまうのある。散歩程度の山ですので遠い歴史を偲びながら山頂で朝ご飯を食べる事に
した。

56豪雪で折れた大銀杏からは新たに芽を出して巨木だった事が分かる、その折れた木はどうしたのかな〜と思ってしまいます。銀杏の材は堅くもなく軟らかくもなく「まな板」に最適な材なのです、「まな板」として全国に散らばっているのかな〜。

大いちょうの広場から3分歩くだけで一乗谷と河和田を結ぶ峠に出る、そうすると廃村三峯村は稜線近くに有った村だった事になる、よくも此の急峻の地に13戸も住んでいた事に驚きます。
峠からは朝倉一族の一乗谷の奥から入口まで一望出来ます。ミズナラとバット位の幹の細いブナ林の落ち葉を踏んで無風で小春日和の山は気持ちよく清々しい。小さい鳥はチュンチュンと澄んだ囀りで木々の実を摘んでいる。

山頂からの展望は素晴らしい、山頂から北に20mほど下った所から白椿山の左肩越しに白山が小さく見える。
一乗谷も河和田の谷も福井市街もまさに要塞の山だった。
風もなく陽射しが暖かい、とても師走とは思えない。今日が今年最後の山になるだろう。


大いちょう広場の歴史案内板

遊歩道入口の案内板

旧三峯村と三峯城址の案内板

大いちょう広場

城山山頂から一乗谷

城山山頂から河和田


      戸口トンネル手前 鯖江市上戸口町の三峯城址林道入口



大いちょう →

「乳授けの大銀杏」と尊ばれ、三峯村人の誇りであった。
昭和48年には、天然記念物として県の指定を受けており
当時の記録では「主幹の根廻り8メートル」の巨木であった。
昭和56年の豪雪の際、根本近くで折れてしまったが、関係者の
努力により再生した。
古くは泰澄大師の母親がこの大銀杏の樹皮から乳をいただいたと
いう伝説がある。
(案内掲示板より)

稜線の遊歩道

土橋

← 墓地跡

平成10年に発掘調査がおこなわれ、約60基分300点以上の
石塔類が出土しており、主体五輪塔である。
そのうち弘冶2年(1556年)名の物には、僧侶の位を表す
「権少僧都」と刻まれており、大甕の中には遺体を納める甍棺は
4基(5個体)発掘された。

文献により、少なくとも14人の僧侶がいた。三峯寺が付近に存在したことと
考え合わせると、本遺跡は寺院の造営による墓地と考えられる。
(案内掲示板より)

蕎麦(合鴨、里芋、きのこ、ホウレンソウ、長葱)・弁当

城山山頂(三峯城址本丸)「脇屋義助卿守戦の地」の石碑(昭和14年建立)