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「越の大徳」泰澄(たいちょう)の生誕地 泰澄寺  福井市三十八社町 地図
2005年4月20日

県内はもちろん北・中アルプス・御嶽・鈴鹿などの山の頂に立てば最初に白山が見えるか何時も確認するのである。
30数年前初めて登った浄法寺山からは5月になっても真っ白い雪を纏った大きな白山を見た。自宅の二階の窓からも
白山が望める。山に登らなくても信仰の対象でなくても地元の人々は美しい白山をよく知っている。

越前・加賀・美濃の三ヶ国に跨る白山を開いたと伝えられる「越の大徳」泰澄の生誕地「泰澄寺」を初めて訪ねた。
好天続きの1週間の後、今日は一変して春の嵐。満開を過ぎた桜の花びらは宙に舞い葉桜に拍車をかけている。
春の嵐が過ぎ去った夕方泰澄寺を訪ねた。市内中心部から南に6〜7km、小高い森の中に在った。
苔生した境内は常緑樹で鬱蒼として椿の落花が散乱、人の気配を感じさせない静寂だった。


福井市南の三十八社地区、中近世の北陸道に沿って「越の大徳」として今でも多くの信仰を集めている泰澄生誕地との伝説が残る泰澄寺(号白鳳山、真言宗智山派)が在る。

泰澄は奈良時代初期の僧とされ、36歳のとき、越前・加賀・美濃の三ヶ国に跨る白山を開いたと伝えられ、白山信仰と結びついて越前をはじめ近隣には泰澄開創と伝えられる寺社が多く建立されている。
泰澄の事跡は「泰澄和尚伝」等にみえるが、どこまでが真実でどこからが伝説なのかは判然としない。

いま、伝承を基に簡単に生い立ちを記せば、白鳳22年(682)の生まれで、父は三神安角、母は伊野氏でその二男として誕生した。幼少の頃より、他の児と遊ぶより泥土で仏像や堂をつくり、花を供えていたといわれる。

持統6年(692)唐から戻り北陸道遊行中の道昭聖人が三神氏宅に宿をとり、泰澄を見てその才を見抜いたとされる。
14歳の時、十二面観音の霊夢を見、越前の山々を望む越知山(612m)坂本厳屋に入り修行。
大宝2年(702)、文武天皇より鎮護国家の法師に任ぜられた。霊亀2年(716)、白山神の霊夢を得、その導きにより白山登拝に成功、弟子とともに千日の練行を積んだ。白山は、これ以降、行者たちの修行の場となった。

養老6年(722)、天正天皇の病気加持により神融禅師の号を許され、天平9年(737)には大流行した疱瘡を十二面観音法によって終息せしめ、大和尚位を受けた。
その後泰澄は77歳で越知山に戻り修行に専念し、神護景雲元年(767)86歳で死去したされる。

福井商工会議所報「Chamber」2005 March Vol.716より


泰澄寺



産湯池

泰澄大師御誕生の砌り産湯に使われた池である。
古くから手入れなく木の葉にうずもれていたのを昭和28年4月祈祷の
上清掃したところ付近一帯に白雪が降るという不思議な現象があった。
池の底から当時ご使用と思われる甕が発見された。
(案内掲示板より)

泰澄大師像

雷之池

座禅石

春の嵐でツバキが