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最高気温と最低気温 〔 〕は平年値+- |
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廃村八丁 |
600m |
上弓削・花背 |
曇一時霧雨後晴 |
(-3.0 -2.3) |
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福井市自宅出発430====マキノ====今津====朽木====梅ノ木610====久多峠635====広河原==== 京都市左京区佐々里峠登山口(標高730m)700〜715----ダンノ峠分岐755----品谷山840〜850----品谷峠910---- 廃村八丁955〜1045----四郎五郎峠1135----ダンノ峠1200〜1205----品谷山分岐1235----佐々里峠1305 ◆周回 休憩時間含む ■出会った登山者 0人 |
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別山、千振尾根の予定だった。ところが台風7号が東海沖から房総半島をかすめて三陸沖へ抜ける。幸い福井は台風の影響はなかった。三陸沖に抜ける台風は台風一過の晴天は北陸では望めない。西高東低の気圧配置になって北寄りの風が吹き天気を悪くする。別山は雨とガスそして強風だろう〜と行き先変更する。 京都府美山町と京都市左京区の境、佐々里峠へ早朝から飛ばす、所要時間2時間30分だった。梅ノ木から久多峠を通って広河原へは初めて通る。一車線の山道は曲がりくねって厄介な道路だ、早朝だろうか対向車は一台も無かった。 歩き始めてまもなく芦生杉の巨木に出会う、高さはさほどなく胴回りの大きさに驚く。連続して現れる。 刑部谷をダンノ峠に向けて遡上する。何度も渡渉のくり返し、炭焼き小屋の石垣が幾つも残っている。滝も現れる。(暗くて写真に成らず)四郎五郎峠付近は平地の自然林の中、沢はゆっくり流れ芦生の森を彷彿させる気持ちの良い処だった。 ダンノ峠から佐々里峠に向かう、この尾根にも芦生杉の巨木が有り樹肌は真夏の日射しで輝いていた。 |
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八丁山は、明治11年6月最終的に上弓削村と佐々里村との境界が決定するまで実に600年近い争いの歴史であった。 1682年公儀の御留山として立入が禁じられた。元禄14年(1701)周山村吉太夫の請負山となり上弓削村から 3名と広河原村から2名が炭焼を職として1町5反3畝の新畑を開き住居、1743年上弓削村の請負山となり5戸の者も 上弓削村の山番として定住してきたが、明治維新になっても佐々里村から八丁山払い下げ願いが出されこれを聞いた 上弓削村も直ちに払い下げを嘆願した。山番5戸を味方にした上弓削村領と決めて和済が成立した。 明治33年には博習校の分教場も設けられ8人の児童に先生1人が教鞭をとった。 昭和8年の冬大雪に遭って食料が欠乏し病人が出ても医者の便もなく、さんざんな目にあった所から村あげて 山をあとに平地にさがり、昭和11年に廃村となった。 (案内板より) |
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