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年 月 日

山 名

標 高

2.5万図

天 気

当日福井市の
最高気温と最低気温
〔 〕は平年値+-

同行者

2004 12/1

行市山
(ぎょういちやま)
砦跡

659.7m

木之本



14.0℃  5.6℃
(+1.9  +1.5)


行 程
福井自宅出発640===栃ノ木峠経由===滋賀県余呉町新堂・毛受(めんじゅ)兄弟墓登山口(標高170m)800〜820---大木別(おおきわけ)神社分岐845---稜線855---林道出合915---別所山砦跡925〜935---行市山山頂砦跡1010〜1120---別所山砦跡1150〜1155---林道出合1205---中谷山(中の谷砦跡)1220---大木別神社分岐1230---小谷山砦跡1240---新堂登山口1250---毛受兄弟墓登山口1255
                              ◆一部周回 休憩時間含む ■出会った登山者 0人

戦国の武将、北ノ庄(福井)の城主である柴田勝家が羽柴秀吉連合軍と戦った賤ヶ岳合戦での砦があった行市山と本陣の
玄蕃尾城趾を訪ねる。

登山口の主君柴田勝家の身代わりとなって奮戦し最期を遂げた毛受兄弟の墓広場には「秀吉vs勝家」の幟、戦国時代の歴史を物語っている。
猪除けだろうかブリキ板をスライドさせて電線を潜り抜け登山道に入る。この一帯はまだ紅葉が見られる。朝日を浴びた木々は鮮やかに目を楽しませてくれる。
軍馬が通ったであろう道はU字形に深く堀下りそこに落ち葉が埋まり急登もなく、実に膝に優しい道となっている。
稜線に上がると余呉川沿いの北国街道が一望出来る。この山に砦を築くのが理解できる。

447.8mの別所山は鎌倉時代の頃より天台宗の別所山万福寺があった処であるが戦国兵乱の戦火で焼失した。
この山に土塁と空堀を築き前田利家が陣取った。広場になっている雑木の森は葉を落とし素っ裸、山頂も北国街道も見通しが良い処であった。

一踏ん張りで行市山に到着。展望は東と南方向だけ、北と西(福井県方面)は杉の植林地で展望なし、日射しはあるが周りの山々は雲で見え隠れ、伊吹山も横山岳も山頂部しか見えない。手前の七々頭ヶ岳や呉枯ノ岳、己高山など逆光で黒ずんで見える。
案内板には新しく柳ヶ瀬山(玄蕃尾城趾)への標識、登山道は最近出来たのかな〜。
師走に入ったのに無風で暖かい。やはり暖冬だろうか狂い咲きかスミレ、ツツジが花を付けている。
砦跡を実際歩いて合戦の様子が伺え実り大きい行市山だった。

行市山から降り柳ヶ瀬トンネルを通って9.1km移動、柴田勝家の本陣跡 玄蕃尾城趾(中尾山・柳ヶ瀬山)



■対立の経緯■
天正10年(1582年)6月、本能寺の変で倒れた織田信長と長男・信忠の後継者をめぐり清洲会議が開かれました。
仇敵・明智光秀を討った勢いで政局の主導権を握った秀吉は、信忠の遺児・三法師(当時2歳)を譲立し、次男・信雄(のぶかつ)をはじめ丹波長秀、池田恒興ら家臣たちの支援をとりつけます。これに対して三男・信孝を推す柴田勝家や滝川一益らが激しく対立する。

この年の秋から冬にかけ、秀吉は反対の各個撃破作戦を展開、勝家の甥、勝豊の長浜城を包囲し、信孝籠もる岐阜城を攻めて、明けて1月、滝川一益を攻略するため北伊勢に進行。
一方、雪深い北ノ庄で切歯扼腕していた勝家は、翌年3月、反秀吉派の声望を担い遂に出陣します。中尾山(玄蕃尾城・柳ヶ瀬山)本陣を衣き、木ノ本の秀吉と対峙すること1ヶ月。この間、勝家に呼応して動き始めた信孝を叩くため、秀吉が大垣に出向いた隙をつき、4月20日、勝家軍が攻撃を仕掛けます。先鋒の佐久間隊が一気に敵陣深く進撃しますが、史上にに名高い大垣大返しで秀吉軍の逆襲に遭い、前線が伸びきっていた勝家軍は総崩れとなります。結局、勝家は北ノ庄へ敗走し、愛妻・お市とともに自刃してはてます。



■行市山に通じる尾根に砦を構える柴田勝家連合軍武将■案内板より
林谷山 毛受勝助家照兄弟
 諸将敗戦後この地 林谷山にて同志300余名を率い主君柴田勝家の身代わりとなり奮戦したが衆寡適せず最期を遂げた
行市山 佐久間玄蕃盛政 
 柴田勝家の甥 加賀尾山(金沢市)の城主 天正11年4月 勝家に代わって軍を指揮し一担は大岩、賤ヶ岳を制した
別所山 前田又左右衛門利家 
 織田信長時代 長篠の役により府中城主(福井県武生市)であった。天正9年七尾城主となり勝家配下として従軍する
林谷山 徳永五郎秀現 
 織田信長に仕えたが、勝家の配下となり参戦、戦い半ば、当町菅並の洞寿院に籠もり高野山に逃げる
橡谷山 金森五郎長近
 織田信長の下臣であり大野主(福井県大野市)であった。勝家に付属し、この地で従軍したが戦場離脱する
中之谷山 原彦次郎長頼
 織田信長に仕へ、勝家に付属され勝山城主(福井県勝山市)であり、この地に陣取り前田利家と行動を共にする
小谷山 不破彦三勝光
 織田信長の将、府中城(武生市)に所領を与えられ、この地にて参戦したが秀吉方に通じ戦場離脱する


毛受兄弟墓の広場

毛受兄弟墓

行市山山頂

中腹から呉枯ノ峰

山頂

別所山 奥に行市山

別所山 前田利家の砦跡




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